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大阪安保で取り扱っている書籍とパンフ

★2014

『集団的自衛権と日米安保』
頒価400円
〈主な内容〉
はじめに
1.集団的自衛権の行使は本当に
  必要なのでしょうか
2.安保法制懇報告の
  3つのごまかし
3.集団的自衛権行使による
  4つの危険
4.憲法が生きる国づくり
■補論
■米軍基地強化と集団的自衛権



★2013『日本の米軍基地』
【小泉親司著】 頒価600円
〈主な内容〉
【T】いま日本の米軍基地は?
【U】「米軍再編」とかつてない基地闘争の発展
【V】オスプレイ配備と「米軍再編」
【W】米軍と自衛隊の従属的一体化はどこまできたか?
【X】「基地のない沖縄・日本」をめざして

★安保がわかるブックレットI
「9条改憲と日米安保」
(B5版) 400円 


★『1からわかる日米安保』(B5版48頁) 200円 2011年4月発行 

★『普天間問題と安保50年』 (安保がわかるブックレットEB5版65頁) 400円 2010年6月発行

★『原発・原子力空母』(安保がわかるブックレットGB5版64頁) 400円 2011年10月発行

●牧 俊太郎著 『「米国のポチ」と嗤われる日本の不思議』 (B5版288頁) 1,500円 本の泉社 2011年12月発行
●末浪 靖司著 『対米従属の正体・・米公文書からの報告』 (46版288頁) 2,200円 文研 2012年6月発行

ミニパンフ 高江ヘリパッド反対 『平和な生活を壊さないで』  (A6版16頁)  100円 沖縄県統一連  2011年6月発行

ミニパンフ 『横須賀の港に浮かぶふたつの原子炉』   100円  2011年6月発行

辺野古新基地をめぐって新しい段階へ

◆裁判「和解」(3/4)以降、国地方係争処理委員会での適否判断せず

 6月20日、総務 省の国地方係争処理委員会は、国が強引に進める辺野古新基地建設問題について、「国と沖縄県との間で議論を深めるための共通の基盤づくりが不十分な現在の状態のもとで、本件是正の指示が地方自治法第245条の7第1項の規定に適合するか否かについては判断せず、双方がそれぞれ納得できる結果を導き出す努力をせよ」と決定文書を通知しました。

 安倍政権は、「行政不服審査法」や「代執行」など沖縄県の地方自治を侵害する様々な裁判や指導を行ってきました。急きょ、判決前の3月4日に裁判長の「和解提案」に乗ったのも、不利な司法判断が出ることを恐れたからです。「和解」に基づき、国と沖縄県の協議を行うことになっていました。しかし、3月16日に国土交通省は沖縄県に「(辺野古新基地の埋め立て)承認取り消しを取り消す指示」を提出しました。3月23日沖縄県は、その指示を不服として国地方係争処理委員会に審査の申出をしました。

 この国地方係争処理委員会は、1999年の地方分権一括法が成立したのを受けて、2000年から実施された制度です。地方公共団体は、是正の要求、許可の拒否その他の処分その他公権力の行使にあたる国の関与に不服がある場合、国地方係争処理委員会に審査を申し出ることができるものです。国と地方公共団体が対等・協力の関係になることを期待した地方自治法改正でしたから、この委員会は国の関与に対する地方公共団体の救済の意味がありました。しかし、「適否を判断せず、双方協議」と明確な判断を下さなかった点では、係争委の存在が問われかねないものになりました。

◆アテが外れた安倍政権と私たちのたたかい

 安倍政権は、委員会の審査通知で国が勝利すると見込み、沖縄県からの裁判があると考えていました。その裁判で「来春までに判決が確定し、国が勝訴する」というスケジュールを想定していました。沖縄県・翁長知事が委員会の通知を受けて、「裁判を行わず協議をすすめていきたい」と答弁しています。裁判でも国地方係争処理委員会でも、「国と沖縄県が協議をする」ことになったことを受けて、国がボールを投げる状況になっています。

 一連の結果から言えることは、安倍政権が、沖縄の民意を無視して、「行政不服審査法」や「代執行」などを使い、辺野古新基地建設を強行してきたことを真摯に反省することから再度の協議を始めることです。安倍政権が態度を改めないなら、これまでの形式的な協議を進めるだけとなります。「日本は法治国家」という言葉を安倍首相や菅官房長官はよく使いますが、その言葉は逆に本人たちに投げ返されているのです。

 翁長知事を先頭にしたオール沖縄は、6月5日の県議選で4増の27議席を占め、翁長与党が安定多数を維持しました。この流れを引き続く参院選で辺野古新基地反対候補を勝利させることが当面の重要課題です。同時に、沖縄県民と固く団結して、全国・大阪から辺野古新基地反対のたたかいを広範に推し進めることが必要になっています。



6月23日によせて〜ふたつの6月23日〜
ふたつの6月23日


 ○1960年6月23日、現行の日米安保条約が発効

 5月19日の衆議院安保特別委員会において、「発言する者、離席する者多く議場騒然聴取不能」(委員会議事録より)という大混乱の中で強行採決され、その後の本会議では、与党単独(与党議員の一部も退場する)で、新安保条約が強行採決されました。参議院での議決が無いまま、30日後には自然成立。そして、6月23日に発効したのです。

 この時、国会周辺では、多くの国民が「安保反対」を叫び、連日行動していました。この声を全く無視しての強行だったのです。

 この事に抗議する思いを込めて、安保破棄実行委員会では、毎月23日に宣伝行動を行っています。

○1945年6月23日、沖縄戦終結の日

 日本国内、住民を巻き込んだ唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄。県民の4人に1人が、艦砲射撃、集団自決強要、日本軍による殺害などの犠牲になるという、アメリカ軍人すらも「この世の地獄」と表現したほどの沖縄戦。

 その沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされているのが、1945年6月23日です。沖縄では毎年6月23日を「慰霊の日」として、沖縄戦のすべての死者を追悼する行事を行っています。

 昨年9月19日未明、参議院本会議において、「安全保障関連法」=戦争法が、強行採決されました。それに先立つ17日の参議院平和安全法制特別委員会で、まさに55年前と同じ「議場騒然聴取不能」という状況で、強行採決がされました。事前に開かれていた、地方公聴会、中央公聴会の内容を議論することもなく。

 沖縄では、今年の4月28日、うるま市在住の20歳の女性が米軍属・元海兵隊員によって殺されました。基地あるが故に起こされた残虐な事件。その根本には、日米安保条約があります。

 立憲主義がないがしろにされる根本にも日米安保条約があります。日本の民主主義、立憲主義を取り戻すためにも、諸悪の根源である日米安保条約を廃棄することが求められます。様々な共同を行いつつ、この目標をしっかりと見据えて行動していくことが、安保破棄実行委員会の重要な役割です。当面は、日本がアメリカの戦争に協力参戦するための「戦争法」を廃止することと、在日米軍基地の撤退を要求し続けることです。

 6月19日に開かれた沖縄県民大会では、2度と悲劇を繰り返させないために、海兵隊の撤去を求めることが決議されました。



いかりと悲しみにみちた沖縄

 
 6月18日〜20日の日程で、「沖縄県民大会参加&高江行動」が、安保破棄中央実行委員会主催で取り組まれました。その呼びかけで、大阪からの参加者が7人。それ以外で、各団体、個人を合わせれば、6月19日の沖縄県民大会へ大阪から20人以上が参加されました。

 18日には、那覇市内で、沖縄連帯学習交流集会が行われました。参議院選挙沖縄選挙区のオール沖縄の候補、伊波洋一さんも来られ、参議院選挙勝利に向けての決意を示されました。

 「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し、海兵隊の撤去を求める県民大会」は、6万5千人が集まりました。被害者の父親からの手紙が読み上げられ、その後のそれぞれのあいさつ、訴えには、「なぜ守ってあげられなかったのか」「20年間何をしてきたのか」などの悲しみがあふれ、同時に、加害者に対してと、沖縄を理不尽な状況に追いやっていることに対しての怒りが込められていました。

 会場出口で「政治利用しないで」と、「被害者への哀悼の意を表するだけで、基地反対など掲げる必要はない」という宣伝をひたすらしている団体がありましたが、集会の中でも「政治利用するなの意味が分かりません」という青年の言葉があったように、基地問題としっかり向き合うことなくして、被害者の遺族の思いにこたえることにはならないと、大会の中で明確に感じられました。

 辺野古視察のため、瀬嵩の浜によりましたが、そこから見える大浦湾には、「臨時制限区域」を示すフロートが無くなっていて、沖縄の勝利の一つをはっきりと実感できました。

 高江では、米軍北部訓練場のメインゲートを封鎖する行動に参加しました。今回の事件に対しての抗議を示すために、Yナンバーの自動車を通さない行動でした。行動の合間に、「高江座り込み9周年報告集会」(県民大会へ結集するため中止)で講演予定だった、アーサー・ビナードさん(オバマ米大統領の広島演説を同時通訳された詩人)の話を聴き、各地からの活動報告などがされました。

 短い時間の行動でしたが、その間に、Yナンバーの自動車を一台止め、抗議の意思をしっかりと表明できた行動でした。


寺本敏夫さんが6月1日逝去


 大阪安保の元事務局長の寺本敏夫さんが、6月1日亡くなられました。享年89歳でした。
寺本さんは、結成間もない大阪安保で、事務局長が不在となったもとで1969年から1983年まで14年間、夜は定時制の高校教員もしながら、事務局長として活躍されました。その後、事務局次長であった竹馬さんが事務局長を引き継ぎましたが、代表委員などを歴任されました。

 昨年末入退院を繰り返されるようになるまで、毎月行っている23日の淀屋橋での定例宣伝には、杖を突きながら時々顔を見せ、昨年10月にも来られ、11月4日、大阪安保50年史の編纂委員会にも来られたのが最後でした。

 寺本さんは、士官学校に18歳で入学してリンチを受けた体験から、軍人内に生まれる派閥主義や天皇制の下での権威主義が、日本をダメにしたとの思いを強くされました。夏目漱石が明治の末期の日露戦争で、「日本は滅びるよ」と喝破していたことを読んでいたことで、深く悟られました。自らの体験と思想をバネにして、素直にそしてまじめに日本国と民族に対して、自分の生涯を未来へ捧げようとされました。それが、安保廃棄の活動の原動力になったと思います。

 3年前、竹馬稔さんが亡くなった際、偲ぶ会で「なぜおれより先に死んだのか」と叫ばれた悲しみの言葉が忘れられません。

 大阪安保は50年を超え、竹馬さん、寺本さんという大先輩を亡くしました。安倍政権が日米同盟強化と自衛隊を国防軍にし、海外へ戦争参加しようという緊迫した情勢のもとで、改めて安保破棄実行委員会の果たしてきた足跡と今後の役割をかみしめた思いです。お棺に「大阪安保50年史」が入れられていました。寺本さんへの哀悼の意を捧げます。

(文責;植田)


今年も「とうきび」はじめています

 大阪安保 夏の事業活動「千歳のとうきび」ご注文受付開始しました。

 お届けは、7月25日以降になります。

 30年近く、毎年取り組んできた定評のある とうきびです。

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