2009.9.11 399号 ダイジェスト版




自公政治の終焉、国民の力で政治変える新たな第一歩!

 「日米同盟」問う諸課題山積 たたかい強め新政権に迫ろう

 10年間におよぷ自公政権に国民の厳しい審判が下され、戦後政治に君臨した自民党の政治にストップがかけられました。
 「日米同盟が基軸」に固執する新政権の発足は9月16日。10月初旬から臨時国会が始まり、日米首脳会談も日程にのぼります。「日米同盟絶対」の政治から抜け出せない政権では暮らしも平和も守ることはできません。
 しかし、「国民の声と力で政治が動く」ことが実感される、新しい条件、可能性が生まれている面白い情勢です。「アメリカの核の傘」「核兵器持ち込み密約」「グアムや沖縄の新基地建設など米軍再編と日米軍事一体化」「米軍地位協定の見直し」「思いやり予算はじめ米軍経費の負担」「自衛隊海外派兵の継続・拡大」などなど、日米安保体制と直結する諸問題が山積し、新政権の「安保・外交路線」に内外の関心と注目が寄せられています。
 また、「政党助成金」や「衆院比例定数削減」、憲法問題などをふくめて、この秋から「現行安保50年」の来年にかけて、「安保廃棄」を明確に掲げた私たちの奮闘、歴史的な局面を前にした、従来に倍する運動の強化が求められているのではないでしょうか。
 9月24日〜27日、沖縄で行なわれる「沖縄連帯・基地闘争全国交流集会はその新たな出発点になるものです。同集会には、近畿から15人、そのうち大阪から、7人が参加します。

ご注文をお待ちします


 日本平和委員会の「平和新聞」編集長を務めている布施祐仁さんが最近著した『北の反戦地主 川瀬氾二の生涯』が好評です。
 著者からの要請に応え、大阪安保でこれまでに30冊余普及しています。


 1冊1600円(送料は大阪安保で負担します)
 矢臼別に心を寄せる方々にお勧めします。

 

1986年以来10回目
日米合同演習反対


   10・3あいば野大集会に参加しよう


 大阪に一番近い所での大掛かりな日米両軍による戦争訓練。海外派兵を先取りし「実戦化」する軍事演習の「常態化」と拡大を黙視することはできません。
 海外派兵の中核部隊として創設された「中央即応隊」との共同訓練が全国で始めて実施されたのもあいば野です。今年4月には航空自衛隊饗庭野分屯地に「ミサイル防衛計画」に基づいて新型迎撃ミサイル・PAC3の配備が強行されました。
 総選挙に示された国民の意思に挑戦する憲法違反の「人殺し訓練」に反対する声を府下各地で広げるとともに、「10・3集会」に結集・参加しましょう。

自公政治ノー! 23行動前倒し

 総選挙投票日を間近に控えた8月21日正午、大阪実行委員会は定例の「23日宣伝」行動を繰上げて淀屋橋で行いました。民医連、AALA連帯委、中央区安保、大証労組、事務局などから8人が参加。
 選挙の真っ最中とあって、「どこの宣伝カー?」と通行人の注目を集める中、350枚用意したビラの受け取りもかなりよく、選挙への関心の高さが実感される行動でした。

 各弁士は、日米同盟最優先の自公政治の実態を具体的な例をあげて解明し、今度こそ国民の厳しい審判をくだそうとよびかけるとともに、「60年安保」から半世紀を経た今、「日米安保を見直し、憲法に基づく平和外交

の確立こそ必要だ」と心を込めて力強く訴えました。

 「終戦記念日」に故、川瀬さん紹介・「道新」が連載

 北海道新聞が8月13日から15日にかけ3回にわたって『遺志 川瀬氾二の闘い』を連載しました。

 「護憲の心 風圧に耐え」と題する初日の書き出しは、「森の静寂をドーン、ドーンと、雷のようなさく裂音がかき消す。ここは根室管内別海町の陸上自衛隊矢臼別演習場のど真ん中。原っぱの奥に、赤い屋根。あるじは4月、釧路市の病院に入院中、吐しゃ物をのどに詰まらせ、亡くなった。川瀬氾二さん、享年82歳。1万6800?の演習場の1000分の1、16?の土地で抵抗してきた『反戦地主』として知られる。」・・

 連載の中では、「8日、川瀬さんの追悼も兼ねて開かれた第45回矢臼別平和盆おどり。65年から続く恒例行事で、延べ約500人が集まった」ことも紹介しています。


 また、「受け継ぐ 普通の暮らし大事に」と見出しをつけた最終回では、「川瀬さんの反戦運動は、いつもこぶしを振り上げていたわけではなかった。自衛隊と向き合ってきたのは、すべて『住み慣れた土地を離れたくない』という思いであり、家族を養い、馬を飼うためだった。」「戦争を経て、多くの日本人が感じた何気ない生活を送れることの大切さ。静かに生きる川瀬さんの姿は平和を体現していたのか。」と、大地に根ざして生き抜いた川瀬さんを描写し、さらに「川瀬さんの死後、その自宅には札幌育ちの女性が暮らし始めた・・と、「キリスト教の平和運動をきっかけに川瀬さんを知り、5年前に矢臼別に移り住んだ」、「迷った時は川瀬さんと心の中で話してるんです」という渡辺佐知子さんを紹介。「渡辺さんは今、酪農ヘルパーで生計を立てながら、手探りだが、普通の暮らしのリズムを見出そうと思っている。自衛隊員の迷彩服を見ただけで体が震えるだけに、『身構えれば心も体も持たない』と痛感するからだ。広い牧場で、老いた牛2頭の世話をする。『いずれここで乳搾りもしたい。毎日を大事に生きていけたらと思っています』。後継者はそう言って笑った。」と連載を締めくくっています。

     津軽農民組合と交流、北をにらむ三沢・大湊の基地

矢臼別・川瀬さん偲んで 第31回(青森)北海道平和ツアー

 1978年に始まって、ことしで31回目を数える毎夏恒例の「北海道平和ツアー」(これまでの参加者は延べ1,300人を越えました)。
 数年ぶりに青森をコースに加え、7月28日〜8月2日の5泊6日の日程で行なわれ、和歌山・奈良・愛媛・千葉・東京からの参加もふくめて19人のツアーになりました。6日間のバスと列車の走行距離と道内空路移動距離の合計は2100キロを超えました。

 
 1991年の台風19号による津軽リンゴの大被害に際して「落果リンゴ」の普及・販売をよびかけ、同年だけで10キロ入り1万500箱を斡旋、以来毎年の「ほほえみ(規格外)リンゴ」の取り扱いを通じて交流を深めてきた津軽農民組合は、30人近い幹部・組合員とその家族がツアー一行を大歓迎。

 雨中、浪岡町にある古村庸一・元組合長のりんご園に2張りのテントを立て、地元産のホタテ・いか・鳥・鶏・豚肉・野菜・果物でのバーべキューやさまざまな手作り料理と揃いのハッピを着た「登山囃子」の出し物まで準備され、昼食をとりながら交流しました。 果実も果汁も安い輸入品に押され、リンゴも米も農家は大変という実情がこもごも語られ、日本の政治をもう少しまともな方向に切りかえることの必要性、緊急性が改めて痛感される交流会でした。

 イラクにも派遣されているF16戦闘爆撃機40機が常駐し、連日攻撃訓練を展開している「航空宇宙遠征軍」の拠点・三沢米軍基地、日米共用の天ヶ森射爆場、津軽海峡周辺海域の潜水艦探知などにかかわる防衛省下北試験場、横須賀配備の2隻の掃海母艦をはじめ所狭しと軍艦が居並ぶ大湊(海自地方総監部)や、遠望したむつ市釜伏山(直径18mと12mのミサイル防衛用地上レーダーFPS5を建設中)など、青森県の軍事施設が米軍・自衛隊とも「北朝鮮」に対する情報探知・出撃機能を着々と強化している一端をうかがうことができました。(日本平和委員会発行『平和運動』8・9月号に、「北の最前線・アオモリ・・米国の秘めた野望」と題する斉藤光政・東奥日報編集委員の講演記録が収録さ8/2 高嶋農場での昼食交流れています)

 移動の途中では、津軽のリンゴ栽培、矢臼別のたたかい、三浦綾子・小林多喜二、函館を主題にしたドラマをはじめ、訪問先に関連するビデオやDVDによる車中学習も行ない、矢臼別では自ら開拓し守り続けた土地に眠る川瀬さんを追悼、千歳・高嶋農場での昼食交流など、各地で暮らしと平和を守るため粘り強くたたかっている人たちと心を通わせる旅でした。

  (なお、中央実行委員会の機関紙「安保廃棄」9月号に、参加者の1人、榊洋一さんの感想・レポが掲載されています)

  第31回青森・北海遭平和ツァーに参加して


島尾久美子(大阪・中央区)の北海道平和ツアー感想


 今回、初めての参加です。少しは、人づてに聞き、「赤旗」の新聞等では、読んでいましたが、実際、自分の目で見て、耳で爆音を聞き、肌で感じないと、なかなか理解出来ていないことが分かりました。
 矢臼別での朝の散歩で、自衛隊の探りのグループとの遭遇。三沢基地周辺は、ここはアメリカ?と思うビーチや住居。飛行場でのはらわたをえぐる爆音等、驚きの連続でした。
 恵庭、千歳などの基地にある、初めて見る何台もの戦車はまさに無駄な税金の塊りで、私も固まってしまいました。
 終戦の年に生まれ、堺の大空襲で父親を亡くした者にとって、戦争の影が暗く心の隅にあります。今回の体験をどう伝えてよいのか考えています。
 長い間、お世話下さって、ありがとうございました。私にとっては始まりです。何かの形で続けて頂ければと思うのですが・・。