2005.10.12 362号
在日米軍再編反対、基地撤去の大きなうねりを!
小泉政治の暴走STOP!


特別国会開会、60人が参加し「9・21昼デモ」

 北区・中央区の実行委員会と共同してよびかけた開会日の昼デモには、20数団体から約60人がかけつけ、市民の注目を集めながら中之島からアメリカ総領事館前を経て梅新西まで元気よくデモ行進しました。

 出発集会では、中央区実行委・山崎義郷代表委員、共産党・宮本岳志前参院議員、新婦人府本部・杉本和事務局長が、郵政民営化やイラク派兵の継続反対、憲法9条守れ、と一言ずつ決意を表明しました。

今、格好の学習討議資料

◆日本平和大会パンフ「知って いますか?『米軍再編』」  (B5版32頁)頒布価格200円

◆「日米安保の焦点を斬る」
05.2.15安保学習集会での小泉親司さんの講演(B6版40頁)=イラク戦争の現状/イラク戦争とブッシュ政権の米軍再編/在日米軍基地の再編計画/変貌遂げる自衛隊と海外派兵常設部隊化/基地撤去のたたかいの発展のために=頒布価格250円

◆安保ブックレット?「安保が 見えてくる時代・憲法改悪のウラ」(B6版64頁)頒布価格400円

信太山の自衛隊700人、あいば野で夜間行軍

 9月21日の夜から22日早朝にかけて、滋賀県あいば野演習場周辺で市街地訓練を行いました。部隊は和泉市・信太山の第37普通科連隊の七百人、迷彩服を着用、小銃、機関銃、84ミリ無反動砲を携行、安曇川左岸堤防〜湖周道路〜今津町市外を経て演習場に戻る約35?を徒歩行進。地元の「あいば野平和運動連絡会」は安曇川町・新旭町などで抗議・監視行動を展開しました。

 これは、演習場内に新設された「都市型戦闘訓練場」での演習場とあわせて、「海外での戦闘に対応できるための訓練」。昨秋、グァムで米海兵隊から「都市型戦闘訓練」を受けた第37普通科連隊の中には全国の陸上自衛隊に「都市型戦闘訓練」を伝授・指導する特別のチームが編成されているといわれています。

 また、今津駐屯地がある高島市(町村合併で発足)は「国民保護計画」策定のため、退職した幹部自衛官を嘱託職員として年棒600万円で採用しました。

◆10月、堺港に自衛艦、「体験航海」募集

 昨年に続いて、この10月22日・23日の土日に堺泉北港・大浜埠頭(5号岸壁=昨年)に自衛艦(訓練支援艦てんりゅう)が入港、一般市民の「体験航海」を募集しています。

 昨年は、堺市が「広報堺」9月号で募集記事を掲載、原水協、平和委員会などが市長に抗議しました。

◆テロ対策特措法の延長に反対しよう

 01年10月に制定された2年時限の「テロ対策特措法」は03年に2年間延長され、この4年間自衛隊の艦船がインド洋に出動、米軍などへの給油を行っていますが、政府は11月1日の期限切れを前に、さらに1年の期限延長を閣議決定し、特別国会で強行しようとしています。

 政府に抗議を集中しましよう

 
首相官邸
 FAX03・3581・3883

外務省
 FAX03・5501・8430

防衛庁
 FAX03・5269・3270

 署名用紙あります

*「米軍基地の再編・強化に反対し、基地撤去を求める請願署名」

*「イラクからの自衛隊撤退を求める請願署名」

ラムズフェルド国防長官、訪日中止

 いま日米安保の焦点となっている「米軍基地再編・強化」は、基地と米軍機能の移転・移設先としてあげられている各地の反対闘争の広がりによって、大きな壁にぶつかっています。

 普天間基地の移設で8年越しの攻防が続いてきた沖縄・辺野古では、ボーリング作業のために設置されていた海中のやぐら(単管)が4本とも撤去されました。ワシントン州にある米陸軍第1軍団の移駐が検討されている神奈川県座間・相模原でも、市長を先頭に議会、住民ぐるみのたたかいが発展しています。

 再編・強化の作業の推進のため、11月のブッシュ大統領の来日(14〜15日予定)に先立って10月に予定されていたラムズフェルド国防長官の訪日は、日米政府間の調整の目途がたたなくなって中止されました。

 日米政府を次第に追い詰めている沖縄・横田・神奈川・岩国など基地再編強化問題に直面している各地のたたかいと連帯して、大阪でも反対署名などのとりくみを前進させることが求められています。日本を世界中での先制攻撃戦争の震源地に作り変えようとする「米軍基地再編・強化、米軍と自衛隊の一体化」に反対するたたかいを、米軍基地のないところでどれだけ大きく広げられるかが、今、問われているのではないでしょうか。

終戦60年−平和と憲法守る決意新たに
第27回北海道平和ツアー1,500キロ走破

 ことしで27回目を数える「北海道平和ツアー」には、大阪をはじめ広島・群馬・東京・千葉などから17人が参加しました。「国会解散、総選挙」という情勢の激変のため参加を中止した人も何人かあって、昨年の半数でしたが、戦後60年の節目の夏に、憲法と平和を守る決意を新たにする旅となりました。7日間のバスの走行距離は1530キロを越え、一日平均約200キロを移動したことになります。

 千歳では、初日(8月18日)も最終日(24日)もF15戦闘機の轟音が間断なく聞こえ、2機編隊で離陸・旋回訓練をする機影を何度も目の当たりにしました。(この戦闘機訓練で9月5日に積丹半島沖で接触事故を起こしている)

矢臼別演習場では実弾射撃訓練の真っ最中で、川瀬牧場にバスが到着したときも、翌朝、出発するときも、ドカン、ドカンとものすごい砲撃音が連続してとどろきました。自衛隊から別海町への「演習通知」(川瀬牧場に近いゲートの前にも「演習告知」が掲示されている)によれば、8月3日から15日までの13日間で155ミリ・203ミリ自走榴弾砲あわせて5010発、130ミリ多連装ロケット弾1320発が発射されたことになっています。(このうち6〜8日には41回目の「矢臼別平和盆踊り大会」が行われた)

 演習場周辺の牧場で搾乳がおこなわれる夕刻の4時30分から7時までは、射撃を控えていますが、通常は朝8時30分に射撃が始まり、夜10時まで演習が続くことが多く、大・中・小のヘリによる偵察・戦闘訓練や爆破訓練も併行して行われます。 私たちが川瀬牧場を訪れた20日の夜も10時までの演習が告知されていましたが、なぜか夕刻以降砲撃音は途絶えました。

 使用された砲弾は1発40〜60万円といわれており、「演習通知」に記載されていながら、やらない時や射撃数が通知より少ないこともあるとのこと。「予定はして、予算に計上して、実際は間引いて金を浮かしているんじゃないか」という推測も出ているといいます。

 それにしても何という税金の使いようか、と腹がたちます。

 この6月下旬から8月初めにかけて、伊丹に総監部を置く中部方面隊も、車両1200両、兵員4300人、戦車19両、航空機13機、火砲20門を動員して、矢臼別で「北方転地・長距離射撃訓練」を行いました。

 大阪市の面積の4分の3の広さを占める日本最大の演習場・矢臼別では、年間300日以上、戦車砲、無反動砲、地対空・空対地誘導弾、地雷原処理ロケット弾、榴弾砲、多連装ロケットシステム(多目的子爆弾644個内蔵、フットボール場100個分の面積を破壊=「地上発射のクラスター弾」)などの実弾射撃や航空機の訓練、爆破訓練・「音源標定訓練」など各種の演習が行われています。

 1997年からは、沖縄米海兵隊の実弾砲撃演習も毎年行われ、今年で8回目。さらに「米軍再編」の一環として沖縄海兵隊の矢臼別移駐も検討されています。実弾砲撃演習の移転に反対する町民多数の声を無視して、鈴木宗男議員(当時)の恫喝に屈服、いち早く移転を認めた佐野・別海町長は「補助金が出るなら海兵隊も結構という姿勢です。

 旭川の第2師団司令部の周辺を一周しました。駐屯地の中に「北鎮館」という資料館があり「ご自由にお入りください」という看板があったので、急遽手続きをしてバスのまま中に入りました。

 イラクへの派遣の先陣を切ったのはここの部隊350人を中心に、帯広・千歳など各地の師団から選ばれた五百数十人の隊員です。戦前は1900年(明治33年)から旧陸軍第7師団が置かれ、「軍都・旭川」の面影は師団司令部と道路をはさんで向き合う「護国神社」にも色濃く残っています゜。1904年の日露戦争・旅順二〇三高地攻防戦や、続く「奉天の会戦」、昭和14年のノモンハン事件、太平洋戦争・ガダルカナル島とアリューシャンのアッツ島の激戦(昭和17〜18年)でもここの部隊が投入され、それぞれほとんど全滅に近い死傷者が出ました。

 ちょっとした図書館ほどの広さを持つ2階建ての「北鎮館」には、小泉総理や石破防衛庁長官(当時)らを真ん中にしたイラク派遣部隊全員の集合記念写真などとともに、1950年に札幌・真駒内で創設された「警察予備隊第2管区総監部」の銘版まで飾り、「旧陸軍第7師団ゆかりの地に移駐・・第2師団と称号・編成を変えつつ・・訓練錬度・装備のいずれにおいても、わが国防衛の最重要正面である北の守りのため・・名実ともに最精鋭の北鎮師団として成長してきた・・」と歴史を誇っています。

 同時に、旧陸軍師団幹部将校の写真、さまざまな兵器、出征兵士の武運長久を祈るのぼり旗、戦闘や占領地の写真・地図をはじめ戦前の第7師団の軍歴を示す数々の物品が所狭しと展示されているのには驚きました。戦前の旧軍隊とは本来きっぱり隔絶しているはずの自衛隊が、旧軍隊の海外での戦歴を得々と誇り、称揚しているのは納得できません。まるで靖国神社が、血道をあげている侵略戦争賛美と同質の異様な、危険なものを感じました。

 今回のツアーは、大樹町で米軍の上陸に備えたトーチカ造成に徴用され、樺太に通信隊員として派兵され、ソ連に抑留された経験をもつ80歳の農民の話を聞いたり、日本が「満州事変」に突入した1年半後に拷問で虐殺された小林多喜二の墓に詣でたり、川瀬氾二さんに終戦前後の話をしてもらったり、節目の年にふさわしい思い出をつくりました。また、千歳・高嶋農場、大樹・養豚農家との交流、釧路湿原の川下り、川村カ子ト・アイヌ資料館、三浦綾子記念文学館、ニセコ・有島武郎記念館、旭川・旭山動物園見学なども印象深いものでした。

安保破棄・諸要求貫徹大阪実行委員会
   Tel06-6763-3833  fax06-6763-3836
   
・大阪市天王寺区
  玉造元町 17-22